階級社会 class society 2003 6 1

 今の日本人には、階級社会と言っても、よくわからないでしょう。
しかし、昔の日本にはありました。
江戸時代では、有名な士農工商がありました。
「士」とは武士階級で、「農」とは農民階級で、
「工」とは職人階級で、「商」とは商人階級です。
 こういう階級社会は、現在でも、世界を見れば、たくさんあります。
もしかすると、階級社会がない方が、少ないかもしれません。
たとえば、留学先として人気のあるイギリスですが、
厳然とした階級社会が存在します。
upper class, middle class, working classという階級です。
しかし、working classが、人口の大部分を占めているかもしれません。
 日本人が知るイギリス人とは、middle classでしょうか。
しかし、middle classは、人口の20%弱ぐらいでしょう。
だから、日本人は、イギリス社会をよく知らないのです。
この辺からも、日本の教育の貧困がわかるでしょう。
事実を事実として伝えず、当たり障りのないところだけ伝える。
その結果、留学して初めてわかる本当の社会の構造なのです。
きれいごとだけ伝えて、事実を伝えないのは、後で困ることになるのです。
人間はともすると、きれいなことだけ見て、真実は見ようとしません。
個人的なことであればともかく、教育やメディアがこれでは、
つまり事実を事実として伝えないならば、何の役にも立っていないのです。
 日本は、節約書のブームがありましたが、
イギリスには、そもそも節約本など、ないかもしれない。
upper classやmiddle classは、資産を十分に持っているので、節約はない。
working classは、もともと、初めから、節約が身についている。
working classは、日本の庶民より、少ない所得です。
しかし、日本の庶民より豊かな生活方法を知っています。
イギリスの庶民は、日本の庶民より少ない所得でも、豊かに暮らしています。
 日本にも、最近まで、このような階級社会はあったのです。
それは明治時代をよく思い出してみれば、わかることです。
 しかし、数々の社会改革と民主主義の徹底により、
階級社会はなくなりました。
その過程で、多くの貴族が没落していったのです。
公爵とか、男爵とか呼ばれた人たちがいたはずです。
今の日本の貴族といえば、天皇家の人たちだけになりました。
 さて、アメリカ、この国は、かつて自由の国と呼ばれましたが、
今は、階級社会ができつつあります。
 資本主義社会には、貧富の差は当然なのですが、
問題は、生まれながらにして、貧富の差があり、それが固定化してしまうことです。
昔のアメリカも、この問題があったのですが、
適度の新陳代謝が起こり、
富める者が貧しくなり、貧しい者が富めるようになっていたのです。
 ところが、今のアメリカは、富める者と貧しい者が固定化しつつあるようです。
建国の精神が失われて久しい。
しかし、イギリスを母として生まれた国は、当然の帰結かもしれません。
 だからと言って、富める者に重税を課せば、
富める者は海外へ逃げ出すか、没落するか、どちらかです。
結果の平等を求めると、国は傾きます。
機会の平等こそ、チャンスの平等こそ、国は保障すべきなのです。
 どうすればよいかと言うと、貧しい者に、成功への道、チャンスの道を作ることです。
どんな人にでも、新しいビジネスに挑戦する機会を保障することです。
国は、チャンスの平等を阻害する要因があれば、それを取り除き、
また、新しいビジネスに挑戦する人たちを支援する必要があるのです。
こうすれば、適度の新陳代謝が起こり、
人々は、成功を求めて、一生懸命、努力するようになります。
 規制は成功者を守ります。
いったん成功してしまえば、規制があることで、新規参入者は防げます。
成功者は、かえって、規制を強化して欲しいものです。
自分の地位を脅かす新規参入者が出現するのを、規制によって防ぐのです。
 さて、国はどうすればよいか。
規制によって成功者を守るか、規制緩和によって新規参入者を作るか。
しかし、よく考えて欲しいのです。
成功者は勝手なことをばかり言っていて、国のために何か貢献したでしょうか。
税金などは当然の義務であり、貢献のうちに入りません。
いや、それどころか、節税に努力しているはずです。
なかには、脱税まがいの節税をする者までもいる。
国から見れば、彼らは、何の役にも立っていないことに気づくはずです。
国に役立っていなくても、今度は、社会に貢献しているか。
これも、怪しい。どのくらい地域社会に貢献しているか。
 そうであるならば、新規参入者を育てる方が、国にとっては得策です。
新規参入者が成長するときに、国から援助してもらったことは決して忘れません。
こういう新規参入者の方が、国に対する思いも強いし、国に貢献します。
 この際、どちらが国に貢献しているか、よく検討しなければなりません。
古い成功者の貢献度、新規参入者の貢献度、
どちらが国に貢献しているか、数量的に把握し、客観的に判断すべきです。
 今の日本では、土地などの不動産の資産価値が低下するというデフレが起きました。
この資産デフレで、困る人たちもいますが、福音となった人たちもいるのです。
土地は、決して一部の人たちのものではありません。みんなのものです。
土地の価格のデフレにより、新規参入者は、容易に土地を手に入れることができました。
もっと、土地の価格が下がれば、半減すれば、
所得の低い者も貧しい者も、土地を手に入れることができます。
 しかし、もとを正せば、富める者が、土地を独占しすぎたのです。
しかも、高価格で土地を独占したのです。
このような土地の独占は、偽りです。
偽りには、偽りの報酬があることを忘れてはいけません。
それは、生きているうちに、その報酬がわかることもありますが、
死して、何百年もかけて、その報酬を理解させられることもあります。
 富者の名誉とは何か。
それは、地域の貧しい人たちを助けることです。
どこかの遠い貧しい人たちの援助は、気が乗らないというならば、
地域の貧しい人たちを助けることです。
目に見える形で、地域の貧しい人たちが、羽ばたく姿を確認できるはずです。
その時、新しい生きがいを感じるはずです。
これで、死してなお、名を残すことになります。
その名は、成功していく貧しい人たちの心の中に、
記憶に、永遠に残ります。
しかし、真の富者は、いつの時代も、こうして名誉を残してきたのです。
 さて、日本の庶民が、イギリスの庶民の節約方法を実践できるか。
おそらく無理でしょう。年季が違います。
やはり、日本の庶民は、常に新しいものを求めたがります。
しかし、これが資本主義の発展につながるのです。
消費者が常に新しいものを求めるとき、需要は拡大し、供給も増えるのです。
供給が増えれば価格が下がり、低所得者でも商品を買えるようになります。
資本主義とは、常に、新しい価値の創造と、新しい価値を求めることにあります。
こうすることで、供給は需要に支えられ、需要は供給を生み出します。
 アメリカの庶民も、おそらくイギリスの庶民のような節約生活は無理でしょう。
新しい価値の創造を求めて、常に、フロンティア精神を持つことが、
アメリカの庶民には似合うでしょう。
旧大陸から、新大陸へやってきたのも、新しい価値を求めにきたはずです。